巻頭言
インターネット調査と職業倫理


小林 和夫
(個人会員)
 インターネット、IT革命をめぐる議論はサーベイ・リサーチの世界でも相変わらず活発である。中心となる論点は、インターネット調査が、伝統的な調査手法を代替するものとなるのか、あるいは超えるものとなり得るか、であろう。ここでは、技術論を別として重要と思われることを考えてみたい。 すなわち、インターネット調査が誤った形で乱用されると、第二次大戦後多くの国で我々調査関係者が享受してきた、データ収集の自由への規制を加速化する恐れがある、という点である。

 いま、データ収集の自由をめぐり世界的には、残念ながら逆風が吹いているように感じられる。WAPOR(世界世論調査学会)とESOMAR(ヨーロッパ世論・市場調査協会)の共同調査(1997)によれば、選挙や国民投票に関する世論調査結果の発表については、すでに調査78カ国中30カ国で投票前の発表について何らかの禁止の法律がある。また、EU加盟国は、1995年のEU指令により厳しい個人情報保護法の制定を義務づけられており、これが調査実施の自由を妨げかねない状況にある。たとえば、調査対象者の協力を得るための手続きや、同一対象者への再調査の制限など。そのため、ESOMARをはじめヨーロッパの調査諸団体は、EU当局や各国政府に対し、世論・市場調査関係者が調査対象者の利益尊重とプライバシー保護のための努力を長年にわたり自主規制により一貫して努力してきたことを訴え、調査への法律による規制をできるだけ排除するように活動を続けている。

 包括的な個人情報保護法を制定せずに問題のある領域について個別の法規制をする立場の米国でも、調査実施の自由を妨げる法規制が行われる危険は常に存在する。こうした動きに対抗するために、米国ではCMOR(市場・世論調査協議会、1992年設立)を中心に議会へのロビー活動を展開している。そして、セールス・コールやアウト・バウンドのテレマーケティングをあたかも調査であるかのように装って行なうこと、いわゆるサギング(sugging;selling under the guise of marketing research)を法的に禁止することや、テレマーケティングに対する法規制を世論調査およびマーケティング・リサーチには適用させない、といった成果を挙げている。

 わが国でも、2001年3月の通常国会に個人情報保護法案が上程されたが、裁決には至らず継続審議となった。法案の内容は、調査関係者の立場から見る限り「日本世論調査協会倫理綱領」や「マーケティング・リサーチ綱領」(日本マーケティング・リサーチ協会)と矛盾するものではなく、データ収集の自由を脅かすものではない。むしろ先年改正された「住民基本登録法」に対する自治体の対応の方が、抽出枠としての住民台帳の利用を一層困難にしている。

 IT技術の進歩は、大量の個人データの収集、蓄積、加工、さらに第三者への移動・流通を以前に比べはるかに容易にした。ここで取扱われる情報の多くは、商取引に関連した情報、金銭・信用に関わる情報である。したがって、人々が自分の情報の行方を心配し、プライバシー保護に関心を抱くのは極めて自然の成り行きといえよう。そして、商取引に関連してのデータ収集とはほとんど無縁な世論調査、マーケティング・リサーチについても人々はその違いを認めずに一様に警戒心を持って接するすることとなり、調査への非協力の増加を招いているのではないだろうか。

 このように見るとITの申し子であるインターネット調査は、それが不用意に乱用されると、ますます調査への非協力者を増加させ、調査のクオリティの低下を加速することとなる。特に、倫理上の誤用は著しく調査への人々の信頼を裏切ることとなろう。たとえば世論調査の大量の原データを調査対象者のE−メール・アドレス付きで依頼された政党に転送することは技術的には容易であるが、調査倫理上また法律上(個人情報保護法案が成立・施行されるとして)は許されない行為である。そしてこのような行為が横行すれば、調査への規制は次第に厳しいものとなり、世論もこうした規制を支持することとなろう。

 この悪循環を断ちきるためには、調査関係者が一致して調査対象者のプライバシー保護、匿名性遵守について正しい認識を持ち、これを確実に実行することが極めて大切である。そしてここでいう「調査関係者」の中には、世論調査協会の会員のように伝統的な方法について実績のある者ばかりでなく、インターネット調査に全面的に依存する「新」調査関係者をも含まなければならない。技術の発達の著しい今日ほど倫理の裏付けが必要なのは、医療やバイオの世界だけではない。


これは「よろん」88号に掲載されました。

トップページ