回収率の社会的効能 / 松本 正生

巻頭言

松本 正生(埼玉大学)

 日本社会の変容にともない、世論調査は困難な環境に包囲され、調査結果の精度(いわゆる回収率)は劣化を余儀なくされている。面接、電話、郵送など、手法をこえて世論調査は(社会から)対応を敬遠され、「スルーされ」つつあるのかもしれない。

対照的に、膨大な情報を収集・解析するビッグデータの実践力と社会的効用には目を見張らされる。サンプル(対象者)を特定し、地道にデータを収集するサーベイは伝統工芸の域に達したのだろうか。

「社会にスルーされる」と言えば、昨今の第一位は「選挙」だ。投票率の低落は世論調査(の回収率)の比ではない。国政選挙でさえ50%そこそこ、地方の首長や議会選挙は3割、4割が当たり前だ。埼玉県では8月に知事選挙が実施されたが、26.63%にすぎなかった。
前回(2011年)の24.89%に続き、知事選とは県民の4分の1しか投票に行かず、普通の人たちは関与しないものになってしまった。

しかも、投票が実施されるのはまだマシだ。今年4月の統一地方選では、無投票当選の比率が3割をこえた。「選挙ばなれ」は、選ぶ側(有権者)のみならず、選ばれる側(政治家)にも波及している。

地域社会における人々の関係性、すなわち、つながりやしがらみが消失する「無縁化」が言われて久しい。選挙だけが特有なわけではなく、低投票率や無投票当選も、諸々の無縁化現象のひとつにすぎないのだろう。
地方の再生や創生が掲げられ、様々な政策的誘導が提示されるにもかかわらず、当の地域社会では活力が低下し無力感が広がる。

「投票率の向上」が叫ばれる中での選挙は、その度に投票率が低落し、「ああ、やっぱり。もう無理かな」のため息とともに「選挙ばなれ」は進行する。
悪循環サイクルによる「あきらめ感の連鎖」をどこかで止めなければならない。

埼玉大学社会調査研究センターでは、埼玉県との共同研究(人口減少に対応した地域づくり)の一環で、この6月、「消滅可能性自治体」を中心に県下7市町の住民を対象とする意識調査を実施した。
テーマ自体が後ろ向きで面倒な内容の上に、謝礼も付かないとあっては、対象者住民がどこまで反応してくれるのか心配したが、7割平均という高回収率を得ることができた。
自治体関係者には、当初、「(回答は)3割がいいところだろう。何を今さら(意識調査なんて)」と斜に構える向きもあった。終了後は、驚きはもちろん、地域の課題に対する地元住民の関心の高さに、あらためて刺激を受けたようだ。 

調査結果のフィード・バックの前に、先ずは、「回収率が高かった」という事実を住民に知ってもらうことが肝要だろう。「選挙ばなれ社会」を反転させるささやかな一助となれば、世論調査の当事者として望外の喜びにほかならない。


この巻頭言は「よろん」116号に掲載されました。

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