有権者の行動について / 大宮 泰三

巻頭言

大宮 泰三(輿論科学協会)

先日、都議会議員選挙の投票を行いました。といっても、私の選挙区の候補者と私自身の投票行動がなかなかうまく合致していないので、残念ながら意中の候補者がいてその候補者に投票できたわけではありませんでした。
このことは選挙のたびとは言えないまでも、これまでの地方選挙に限らず国政選挙でも同様なことが数多くありまして、毎回私を悩ませます。
結果的には当選した候補者、または落選した候補者に対して、あまり気持ちが動くことはないといえましょう。

このことは、私の考えでは有権者の立場としてはあまり好ましくはありません。
一種のジレンマに陥ったかのようです。つまりA候補者に投票してもB候補者に投票しても、また、それ以外の候補者に投票しても、自分自身のためにはならず、同時に有権者全体のためにもならない、結果として何のためにもならないのではと考えすぎてしまいます。

ところで、今回の結果は各種メディアの報道や世論の動態について様々の媒体などであらわされておりますが、それらの後押しなのか、いずれかの影響でたとえば国政の人事などにも少なからず影響を及ぼしたようです。
今回は私自身の予想以上の結果でした。問題点や争点としては、市場や五輪なども含めて各種政策面についてもたくさんあったようでしたが、結果的には多数を占めたそのグループによって、一時ではあるものの多数派の正当性や合理性を主張しているように見受けられます。しかしながら私たちは、“なんとかチルドレン”的な勢力を何回か見てきました。
私自身の感覚ではこういう勢力は足元が意外に脆く、ほころび始めるとそれが止まらなくなることもあるのではと思います。

さて、話を少しもどします。先ほどの私の言う有権者のジレンマとはやや趣を異にしますが、もともとは囚人のジレンマ(アルバート・タッカー1950年)というかなり以前から言われてきた理論で、二人の容疑者にとっては最も効率的な意思表示でも結果的に術中にはまってしまい、意に沿わない結果となってしまう、というものがあります。
この理論を応用し逆に成功に導いた例はあまり詳しく知りませんが、日本では某ビール会社の価格競争による市場シェア獲得などがあげられています。

少なくとも有権者のメディアへの接触は一般的には日常的ですので、法律上の選挙期間中は別としても、各種メディアの報道などによってある一定の世論が形成されることは少なからずあると思います。
このあたりのニュアンスが投票行動に影響を与え、投票率にあらわれる場合もあるのではないでしょうか。
私がいうところの有権者のジレンマを考えている人は非常に少ないか、またはいないと思いますが、それでも結果として何のためにもならないというのは好ましいことではありません。

世論調査および市場調査を企画し、あるいは実施する立場としましては、常にあるがままにということを目指して少しもぶれないことを考えます。
もっとも企画などの段階では、環境や現実の事象をある程度取り入れたりすることも少なくありません。
とりわけ過剰反応はしないものの、性・年代別や時代の移り変わりなどによる様々な影響は受けることになると思います。
また、「転石苔むさず」(㈱ルックバイス故事ことわざ辞典より)という諺にあるように、多方面にわたって考えやスタイルをいちいち取り入れずに、なかなか大変ではありますがあるがままにまかせていくことにより、無駄や浪費をせずに筋の通ったものができあがると思います。
一方、この諺(A rolling stone gathers no moss)には正反対の解釈もあることはご承知のことと思います。


この巻頭言は「よろん」120号に掲載されました。

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