世論調査の再教育を / 小渡 康朗

巻頭言

小渡 康朗(個人会員)

いま、「世論調査」がゆれているという。
「世論調査」が荒れているという言葉も聞かれる。「世論」とは広辞苑によると“社会大衆に共通な意見”とあるが、本協会の林知己夫前会長によると、「世論は世論調査によって捉えられるもの」との定義をされたという。とすれば、世論調査がゆれているとなると“世論”そのものを捉えにくくなっている、という事になろうか。
「世論調査」は世論の動きを“正確に”捉えるという、重要な使命を担っており、それほどに世論調査の意義は大きい。

世論調査がゆれているという言葉のなかにはいろいろな要素がふくまれていよう。
しかし、正確な調査結果が得られにくくなっているのではないかとの危惧があるのも事実であろう。
回収率の低下にしても、以前より言われてはきていたが、その当時は回収率を上げるための努力が調査実査の第一の使命として調査に取り組まれていたように思う。
質問の序列による回答の差違、ワーデイングによるバイアスの研究、質問量の多寡による結果のゆがみ、調査員の適性と効率的配置等の研究、気配りも日常の業務であった。
かつてはサンプリングが重んじられ、特に母集団と抽出標本、或は回収標本と未回収標本の質的相違等については理論と実践の両面から教育が行われていた。
現在の調査事情で言うと、これらの事柄の全てとは言わないが、かなりの部分が軽んじられてきているような気がする。

更に、近年特に問題視されるようになったのは、新しい調査方法の出現である。

電話調査、インターネットサーベイ等々が代表的なものである。
その理由、詳細についてはこの紙面では省略するが「世論調査」が荒れると言われる一つの要因である事には読者諸氏にも異論はなかろう。

世論調査に限らず、以前は調査というものは専門家・プロフェッショナル集団が手がけるものであった。
それが、いつのまにか調査結果の形だけが整えられ、調査そのものも素人にも委ねられてくると調査の質が代わってくるのは必然である。
かつて、筆者が、本誌の書評欄に関わっていた当時でも、必ずしも調査が分かっていないと思われる著者の執筆本が少なからず有ったのを記憶している。
学者、実務家を問わず、調査を教育、普及させる任務を帯びて書籍を発刊する人々に於いてさえこのような状況である。

このような世論調査をとりまく世界を見ていると、ここで、どうしても調査の再教育、専門教育の必要性を感ぜざるを得ない。
世論調査業界の現状を見るに種々の問題が山積している今こそ、真に世論調査と取り組める新たな世論調査の“専門家”を育てあげ、貴重な“世論”を世間に明らかにしていく義務が我々に求められているのではないであろうか。


この巻頭言は「よろん」89号に掲載されました。

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