巻頭言
村上 征勝(個人会員)
東洲斎写楽という浮世絵師が歴史に登場するのは、寛政6年(1794年)5月からわずか 10カ月の間である。写楽の足跡はそれ以前も以降も不明である。そのため、喜多川歌 麿、葛飾北斎、歌川豊国などの同時期の浮世絵師が写楽ではないかと疑われてきた。
しかし、現時点でも真相はわからない。そこで、浮世絵に描かれた顔の計量分析で謎 の解明を試みている。
写楽の描く顔の特徴を見出し、その特徴と合致する絵師を探そうというのである。
この研究は、江戸時代の庶民が求めた美を探るための浮世絵の美人画の計量分析の延 長上にある研究である。
歌麿を始めとする9人の浮世絵師が描く顔53枚を計量分析した ところ、絵師によって描く顔に特徴があり、また美人の顔が時代とともに丸顔から面 長の顔へ変わっていったことなどが判明した。
ならば写楽に関しても何か手がかりが 得られるのではないかと考えた訳である。
分析の結果、少なくとも豊国は写楽でない ということはかなり明らかになった。
写楽と豊国が描いた同じ役者の顔を何枚か比較 した結果、二人の描く役者の顔の特徴に違いが見えたからである。
分析では、目、口 などの顔の部品間の角度の情報を用いた。しかし、距離の情報や、形の情報を用いる ということも考えられる。
分析の切り口はいろいろあるだろう。
私は絵画以外にも文章や考古学データなどの文化現象に係わる計量分析を10年以上試 みている。精神活動の表現を計量分析することによって、複雑で曖昧模糊とした人間 の心の在りよう様を調べたいと思ったからである。
ところで、心の在り様を調べるにはより直接的で有効な方法がある。意識調査である。
私も国民性調査を始めとして幾つかの意識調査に参加してきた。
しかし、意識調査であっても、心の在り様を少しでも明確に浮き上がらせるためにはどのような切り口の質問を作成すればよいのか、大変に難しい問題である。
ましてや、絵画、文章、考古学データから心の在り様を調べる文化計量に関する研究 は始まったばかりであり、分析の切り口がまったく見えない場合が多い。こちらは当分試行錯誤が続く。
文化計量は、主として過去の人間の心の在り様を探るのに対し、意識調査は、現在の人間の心の在り様を探る。
対象や手法は異なるが、文化計量と意識調査のいずれに おいてもより適切な切り口を見つけ出し、少しでも人間の「心」を明らかに出来れば と願っている。
この巻頭言は「よろん」91号に掲載されました。