巻頭言
渡邊 久哲(上智大学)
「国勢調査のお願い」が来た。お願いの下には「国勢調査には回答の義務があります」とある。
統計法という法律があって、この「報告義務」を怠り回答拒否や虚偽回答をする者には罰則が適用されうるのだという。それでは「お願い」ではない。世論調査にも世論調査法があり有権者が義務として「報告」をしてくれたらありがたい。国勢調査への羨望の念が募る。それにこう言っては何だが、国勢調査は性別、生年、配偶関係、仕事とお決まりの質問ばかり。しかも実態調査だから意味が伝わればOK。ワーディングに悩むこともなさそうだ。紙に自記させて調査員が取りに行こうがインターネットで直接入力させようが回答は変わらないだろうから調査モードの心配もない。国勢調査への羨望の念は募るばかりだ。
世論調査はある意味で国勢調査と対極にある。そして世論調査にも世論調査のミッションがある。戦後民主主義の旗印とともに導入された世論調査には民意を知るという大事な役割がある。民主主義とは国民の意思(民意)に基づく政治であり、それを把握するのが世論調査。だから世論調査には法律はないし、国の政策がテーマなら権力監視の視点も欠かせない。
そして世論調査の結果は時として大きな力を持つ。森友学園の決済文書改ざんを追究されてもコロナ感染対策の不備を指摘されてもどこ吹く風だった安倍総理が、支持率の大幅凋落が決定的となって以降、それかあらぬかテレビカメラの前で一気に精彩を欠いたことは記憶に新しい。世論調査の結果は多言を要することなく様々な影響を与えうる。しかし世論調査結果は、そのまま「採用」されるとは限らない。特に前政権時代は特定秘密保護法、集団的自衛権、俗にいうモリカケ問題など調査を通して示されたいくつもの民意が反故にされている。そしてなお悪いことに、有権者は忘れっぽく現状追認的ときている。世論調査者の悩みは尽きないが、ミッションの遂行のためサイレントマジョリティに響く質問の開発に日々精進しなくてはならない。
今現在、世界の至るところで、民主主義の危機が叫ばれる。デモ行進は封じられ、個人情報は抜き取られ、分断が起こり、格差が拡大し、一般大衆はこの上なく軽んじられている。わが国とて対岸の火事とすますことはできない。早朝この原稿を書いている今も、ラジオは検察庁法案の再提出のニュース(9/23)を伝えてきた。先般「検察庁法改正に抗議します」というtwitterのつぶやきが国民のうねりとなって廃案になったはずのものだ。さて今、民意は何処にあるのか。忘れっぽいサイレントマジョリティにどんな質問を用意すれば響くのか。世論調査者の力と矜持が試される。
この巻頭言は「よろん」126号に掲載されました。